良くも悪くも仏教とは何かを考えさせる

仏教「超」入門

仏教「超」入門

内容
  朝日新聞の書評で気になっていたけど売り切れていて買えなかった本。最近2刷が出て売っていたので読んでみた。仏教入門書というと仏陀の生い立ちとその後の仏教成立の当たり障りのない解説書を想像しますが、この本は「超」入門書です。読むと分かりますが、この「超」入門は「とてもとても簡単」という意味ではなくて、「従来の入門書にとらわれない」という意味だと思います。


感想
  本全体からは、著者の現代社会全般への憎しみをフツフツと感じます。その怒りが日本仏教界にもぶつけられています。個人的に一番面白かったのは付録になっている輪廻思想についての議論。
  それ以外のところは、なんとなく納得できない中途半端な感じが漂います。なんでかな?と考えてみたのですが、著者が議論している「仏教」の定義が明確でない点が問題だと思いました。本の最初の方に一通りの仏教の歴史(教典の成立)を述べたあと「本書では、(中略)ブッダの言葉に近いとされている詩句を集大成したスッタニパータからもっとも多く引用した」と書いてあります。実際に、著者はブッダの言葉を引用することで、「仏教とは、、、」と述べることが多く、この点では著者は「ブッダの言葉が正しい」という姿勢であると思えます。
  たとえば、極楽浄土が無いと主張する部分(第三章)ではブッダの言葉を引用して、ブッダの思想に無いという理由で死後の世界を否定します。しかし、般若心経の空の思想を説明している部分(第二章)では、この思想を仏教思想として説明しています。もちろん、般若心経も空の思想もブッダの死後に成立したものです。したがって、著者が「ブッダの言葉がすべてである」という姿勢をとるなら、この章では般若心経も否定するべきだと思います。(般若心経の本は真釈般若心経→8月30日の日記へ
  そういうことを頭に抱きながら読み進めていったら最後の方に「ブッダの生前の行いと言説のみもって、仏教が純粋に伝えられてきたわけではない。ブッダの死後に僧たちが教えを理論的に研究して、今日の仏教というものを形成していったのである」(付録p.197)と書いてあったので、さらに著者の姿勢がわからなくなりました。まあ、議論をさけるような人生論エッセイ風のエセ仏教本よりはこういう議論をふっかけようとしている本の方が読みがいはありますけどね。もう少し論点をはっきりさせて欲しかった。


心に残った一行。「その人が、飼い犬を預けるために親戚を回ってから、首を吊ったのである。」(p.36)